2022年3月いっぱいで休部となった東京アート男子卓球部。1987年に創部された名門チームは、日本リーグで歴代最多となる26回の優勝、全日本選手権団体の部でも史上最多15回の優勝、全日本実業団選手権では9回、JTTLファイナル4では16回の総合優勝を果たすなど、輝かしい成績を残してきた。
実業団界をけん引してきた東京アートの突然の活動休止。
所属していた選手たちは、その衝撃の一報をどのように受け止め、今後どのような道を進んでいくのか。今回は2019年に東京アートに入社し、チームの一員として活躍してきた坪井勇磨選手へのインタビューを実施。休部が決まった時、どんな心境だったのか。今後についてはどう考えているのか。ありのままの現状を語ってもらった。
(写真提供=卓球レポート/バタフライ)
突然の休部「驚きが半分、もう半分はプロでやりたいという気持ち」
「突然ですね。何の前触れもなく(2022年の)2月上旬に(休部を)伝えられました」。
神妙な面持ちで坪井選手は語る。
突然伝えられた所属チームの休部。寝耳に水だったが、ネガティブな感情は一切なかったという。
「会社の中では卓球部を大事にしていただいていましたし、会社から(休部と)言われた時は腹が立つような感情は一切なかったです。これだけ良くしてもらっていた分、こういう状況なので致し方ないというか。感謝の方が大きかったですね」。
卓球部としての活動がなくなった後も、1年間は練習環境や給料が保証されるという好条件。そういった部分からも東京アートがいかに卓球部を大切に思っていたかがうかがえる。
休部のショックに打ちひしがれるのも束の間、所属選手は否が応でも自身の進路について考えなければならなくなった。
「休部のことを聞いたときは、チームがなくなると分かった驚きが半分、もう半分はプロでやりたいという気持ちでした」と坪井選手は振り返る。
「元々、大学を卒業したらずっとプロでやろうと思っていました。正直、プロに行くか東京アートに行くかという二択でした。でも、自分がプロになって稼げるお金や練習環境を考えたら、『実業団でやっていくのがベストだろう』と、東京アートに入社してやってきた3年間だったんです」。
「実際に東京アートに入ってよかったことがたくさんありました。周りのレベルも練習環境も、大学の時より良くなりましたし。でも、それが全部なくなったことによって、自分が踏み出せなかったところに行かざるを得なくなったということもあります。プロに挑戦したいという気持ちもどこかで残っていたので。(休部を)いい機会だなととらえていた面が大きかったですね」。
海外でプロ挑戦 きっかけは青森山田高時代のドイツ留学
ずっと夢だったプロへの挑戦。その舞台は海外になる予定だという。
「単純に海外しか選択肢がないんです、プロでやるとなると(笑)。どのリーグに行くかは、まだ決まっていなくて、今いろいろと探してもらっている状況です」。
海外挑戦にこだわるのにはもう一つ理由がある。
青森山田高時代にドイツで半年間の「武者修行」を経験。ドイツとの繋がりがあった恩師・板垣孝司氏(現ドイツ1部クニックスホーフェン監督)の勧めで実現したこの卓球留学で、大きな成長を実感できたという。
「ドイツに行ったときに強くなったことを実感しました。高校生だから成長スピードもすごく速い。9月に(ドイツに)行って、3か月4か月で全日本卓球選手権男子シングルス(2014年)でベスト8に入ったんです。4か月くらいしか経験していないのに、一気に変わった」。
「そのドイツ留学の時は板垣先生に『行きたいか』と聞かれて『行きたいです』と言いました。当時は(部の中で)強い人しかドイツに行けないんですよ。僕は高2の時はインターハイにも出てないのに行かせていただいた。そこから人生が変わったんです。板垣先生は恩師ですね」。
板垣孝司コーチと森薗政崇選手 “2人の恩人”がバックアップ
今回の挑戦についても恩師から心強いバックアップがあるという。
「最初に(プロ挑戦について)相談したのは、板垣先生でした。連絡をして『プロに挑戦したい』と伝えると、『いいじゃん』と言ってくれて。『(プロ挑戦が)遅いよ』とも言われましたけどね(笑)。その後に『大丈夫。安心しろ。どうにかなるから。チームは見つかるから』と励ましてくれました」。
「板垣先生はチームを探してくれたりだとか、(チームにツテがある人に)つないでいただいたりして。僕とかだとまだ世界では名前がない状態なので、(海外の)大きいチームにはなかなか入れない。『1年間とりあえずやってみて、どんどん勝っていって、次もっといいチームからオファーが来る。そうやって、やっていけばいいんじゃないか』って言ってくださって。本当に助かりました」。
青森山田高時代の板垣孝司監督(右)(写真提供=坪井勇磨選手)
もう一人、坪井選手の決断を応援してくれた人物がいた。森薗政崇選手だ。青森山田中高時代の先輩で、普段からお世話になっている「兄貴分」にもプロ挑戦のことを相談したという。
「森薗さんとは、中学一年生くらいからほぼほぼずっと一緒にいる仲です。ドイツに行った時もずっと一緒にいました。今回のことも、(東京アートの)社長から伝えられたその日に森薗さんにも連絡をしました。『次、実業団とかじゃなくて1人でプロでやっていきたいです』ということを伝えたら、本当にすぐに動いてくださって。周りの人にいろいろ聞いてくれたりとか、プロでやっていくにはどれくらいのお金が必要なのかとか、経験値でいろいろと教えてくれました。森薗さんがいなかったら進んでいないことがたくさんあります。本当に頭が上がらないですね」。
新たな環境に期待「『ラケット1本で行くぜ』って感じ」
未だに来季の所属チームや主戦場となるリーグは決まっていない状態だが、それでも楽しみの方が大きいと坪井選手は話す。
「チームが見つかるか、練習環境が見つかるかという不安はまだありますけど、海外挑戦に関してはワクワクが強いですね。プレッシャーはあるけど、『ラケット1本でいくぜ』って感じですね」と笑顔を見せる。
「(海外挑戦は)純粋に楽しみです。まずはとりあえず1年間やって、日本に帰ってくるかもしれないけど、やってみてどうなるか。高校生の時に海外に行った感じとはまた変わってくると思う。高校生の時は成長スピードも速かった。いま行って、そういうスピード感はないと思う。そのうえで、自分がどう思うのかが気になります」。
目標は日本代表「自分には可能性がある」
今後の目標は、海外でのプロ挑戦から日本代表への道を切り開くことだ。
「他の実業団に行くとかも考えていなかったですね。それはもう経験しているので。オリンピックや世界選手権の日本代表になりたい。それを目標にやっているので、終われないです。まだ自分には可能性があると思っていますし、諦めて引くには早いなと思っています」。
「海外ってかっこいいじゃないですか。海外でいろいろな経験をして(自分の)味を出したい。今後の目標は、まずは全日本でランクに入ることです。海外で経験を積んで、日本で勝つ。高校生の時にベスト8、大学生の時にベスト16に入ったんですけど、それからランクに入っていない。もう一回ランクに入れるように努力したい。やっぱり全日本しかないんです」。
名門実業団のホープからさらなる高みへ。環境を変えて新たなチャレンジに挑む。
「日本にいるとバランスはいいんです。卓球をしたり、みんなと遊んだり。そういうものを捨てて海外でやる。お金は自分が食べられる分だけあればいいので。まずは純粋に挑戦を楽しみたいですね」。
逆境をチャンスに変え、目標の日本代表へと突き進む。坪井勇磨の挑戦はまだ始まったばかりだ。
【坪井勇磨選手プロフィール】
1997年2月24日生まれ。169センチ体重65キロ。血液型A。左シェーク裏裏。青森山田中在籍時に全国大会優勝。高校では高校3年時にインターハイ3冠を達成。2019年、東京アート入社。
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