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  • 投稿日

    2022/1/17

  • コラム

【インタビュー】卓球男子日本代表・森薗政崇が振り返る世界選手権-前編-

 2021年11月23日から29日にかけて、アメリカ・ヒューストンで行われた卓球世界選手権。新型コロナウイルス感染拡大の影響で2020年の韓国大会は中止となり、2年ぶりの開催となった今大会。男子日本代表としてシングルス・ダブルスに参戦した森薗政崇選手にインタビューを行い、前後編に分けて大会を振り返る。
(取材協力=中目卓球ラウンジ)
http://mfs11.com/brand/nakame-takkyu-lounge-nakameguro/

前編では、世界選手権への思いや代表切符をつかみ取るまでの軌跡、大会前までの準備や現地に到着してからの生活などについて語ってもらった。

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目次[ 閉じる ]

世界選手権は「すごく特別な大会」

ー森薗選手、よろしくお願いします

 よろしくお願いします!

ーまず森薗選手にとって、この世界選手権というのはどういう大会でしたか

 1年に一回、それも個人戦であれば2年に一回じゃないですか。なかなかこう自分が現役の間に何回出られるかわからない大会なので、一大会一大会がすごく特別な大会。

 メディアの注目度も高いですし、これに出たくてみんな頑張ってくる中で5人しか選ばれないから、やっぱりここには出続けたいと思っている重要な大会なんですけど、これまで個人戦には何回か出させてもらっている中で、シングルスで自分のプレーというのがあまりできていないんですよね。

 どうしてもやっぱり特別な大会だから、「あれしなきゃ、これしなきゃ、もっと完璧にしなきゃ」ってずっと思っていて。

 で、試合が終わった後に「普段の自分とちょっと違ったな」っていうパターンがすごく多かったんですよ。

 なので、今回の僕のスローガンというのが「自分の好き勝手に卓球をやる」っていうのを掲げて、世界卓球に行ってました。

経験が報われた代表選考会

ー代表に選ばれた時の心境は

 もちろん「出るぞ」っていう強い気持ちを持って選考会に臨むんですけど、今回は特に選考会の方式が過酷で。

 数日間で何試合も何試合もやるっていう中で、正直、出だしは自分が代表になれるとはあまり思っていなかったです。

 なんですけど、やっぱり試合を重ねるごとにどんどんどんどん苦しい試合、競った試合を乗り越えて、自分の試合勘が戻ってきて調子が出てきて。

 で、中盤くらいからすごい計算するじゃないですか。全部リーグ戦だったので、「誰々を倒していれば後半すごく有利」とか。試合をやりながら周りを見て「彼が劣勢だから、じゃあ今自分が戦っているこの選手に勝ったらあと何回誰々を倒したら上がれる」とか。

 今回は細かい計算をしながら、自分は体力があるほうではないので、集中力が切れないようにちょっとうまく抜く試合、これだけは全力でいく試合っていうのを分けて挑みました。

ーある種、戦略的にというか

 そうですね。やっぱり選手によっては1つでも試合を抜くとその後うまくエンジンがかからないっていう選手もいるので、賛否両論あるんですけど、僕に関してはずっと細かい計算をしているほうが得意で。

 さすがにその10何試合も全部フルでっていうのは難しいので。今回の試合の方式が勝ったら2点、負けたら1点、棄権したら0点っていう勝ち点方式だったので。

 棄権するなら0-4で流したほうが(負けても)1点入るし、そういう計算をしながらやっていました。

ー実際に代表に選ばれた時の心境っていうのはどうでしたか

 うれしかったですね。本当に選考会が苦しかったっていうのはあるんですけど、どうしても下からくる選手と自分っていうのを常に比べるし、常に上にいる選手と自分、周りと自分っていうのを比べながら生活しているし、試合をしているんですけど。

 客観的に見て自分より卓球が強い選手、うまい選手っていうのがたくさんいるけど、最後に勝ち切ったのは自分だったので。

 自分がこれまで積み上げてきた卓球の基礎とか経験とか、そういったものが報われたような気がして。すごいうれしかったです。

note用森薗さん写真 - コピー

“姉”石川佳純選手から「学ばせてもらっています」

ー世界選手権の出発前にはどんなことをやっていましたか

 そうですね。僕、すごく石川佳純選手と仲が良くて。石川さんが僕の3つ上で、僕のお姉ちゃんと同級生で。ずっとその世代の1位2位、1位2位でやっていたライバルであり、あの2人もすごく仲がいいんですけど。

 そんなこともあって、ずっと石川さんには面倒を見てもらっていて。いろんな話もしてもらって。

 例えば、「オリンピックってこういうところなんだよ」とか、「世界選手権はこういうところに注意したほうがいいよ」とか。いろんな卓球のことを教えてもらうんですけど。

 石川さんにいつも焼き肉をご馳走になるっていうイベントがあって。出発前も「世界卓球頑張ろうね」っていうことでご馳走になって。すごく面倒を見てもらっていて。

 現場に入ってからもたくさん気を遣ってもらって、会う度に「調子どう?」とか「さっきどんな感じだった?」みたいな声をかけてくれるんで。

 僕のお姉ちゃんと同い年っていうのもあって、お姉ちゃんみたいな人ですね。

ーすごく素敵な関係ですね

 やっぱり石川さんね、かっこいいっす。生き方というか考え方というか。

 やっぱり世界トップ10をあれだけの期間守り抜く。日本のトップとして戦い続ける人っていうのは、水谷さんに話を聞いても、石川さんに話を聞いても、かっこいいです。

「私は勝ちたい、じゃあこうしたらいいじゃん」っていうすごいシンプルな考え方だけど、実際それがみんなできないし。いろいろなものを犠牲にしながらなので。

 そういうのをやってきた人がトップ・オブ・トップに居続けるんだなって常に学ばせてもらっています。

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毎日貼り替え ラバーへのこだわり

ー世界選手権への準備はどんなことをしましたか

 今回、食事の面だったりいろんなところ気を付けていたんですけど、ラバーはすごく気を付けていて。

 今回、僕は現場にバックは20枚、フォアは18枚のラバーを持って行っていて。サブラケットも何があるかわからないので3本持って行っていたし、シューズも履き潰したシューズを2足持って行っていたんですよ。自分の普段履いているシューズとは別に履き潰したのも2足持って行っていて、いろんな準備をしていたんですけど。

 ラバーを試合の時は1日1枚替えるんですよ。1日目と2日目で、けっこう人によるんですけど、2日目が一番いいっていう人がいたり、だいぶ擦り潰したほうがラバーが擦れてちょうど良くなるっていう人がいたりだとか、いろんな人がいるんですけど。

 僕の場合、毎日同じ状態でやりたいから毎日(ラバーを)替えるんですよ。なので、たくさん持って行っていて。

 その日のラバーを選ぶのも、バっとラバーを机の上に広げて、1枚1枚上から指で押して、自分好みの硬さのやつを選んで。

 全部本当は同じラバーなんですよ、だけど気持ち的にちょっと違うような気がするので。まず表面を見て、テカリ具合と、粒の浮き出具合とかを見ながら、何枚か選んで、その選んだやつの中から触って。

 「あ、これいいね」っていうやつを選んで貼っていくんですけど。

森薗ラバー

ーなかなかこだわりが強いのかなと思うんですけど

 いや、でもけっこう他の選手でもっとこだわりが強い選手はいると思いますよ。

 本当かどうかわからないですけど、水谷さんなんて、ものすごい数、100枚くらいの中から選んで持って行って、また現場でもちょっと選ぶっていうのを聞いたことがありますし。

 やっぱりゴムって生もので、日によってコンディションが変わるし、物によってどうしても若干のムラが出るものなので。すごい神経質になる人は、よく選んで貼りますね。まあ願掛けみたいなところもあると思うんですけどね。

 実際は本当に技術も高いんで、ムラなくラバーもちゃんと同じになっているんですけど。

 やっぱりルーティーンじゃないけど、昔からやっていることをやりますね。シューズに関しても、僕の今履いているシューズがバドミントンのシューズで、硬くて厚底なんですよね。なので、馴染むのにすごい時間がかかるんですけど、馴染んだらすごくよくなる。僕からすると、2か月するとちょうど馴染むくらいな感じなんですけど。

 やっぱりそのシューズ一つ一つも個体差があるんですよね。例えば、「これちょっとつま先の部分締まってるな」とか「このソールちょっと硬いからなかなか馴染まないな」とか。で、これまで履いたシューズを全部取っておいて、履き潰したやつも2足念のため持って行って。何かあった時のために、そういう準備はしていますね。

アメリカ大会でも「日本と同じ環境づくりを」

ーコロナ禍で行われた世界選手権についてはいかがでしたか

 ここのところずっと国内大会だけだったじゃないですか。コロナウイルスで国際大会が全然なくて。国際大会と国内大会ってびっくりするほどコンディション異なるんですよ。国内だったら飛行機の長時間移動もないし、ちょっとお腹がすいたらコンビニに行けば温かいものが食べられるし。

 自分の体調に合わせて、疲れていたらうどん、食べられるならしっかり定食食べるみたいな細かい調整、普段の生活で細かい調整ができるんですけど。

 海外に行ったら当然そんなわけではなく、いつも環境によってコンディションがうまく調整できなくてやられちゃうっていう試合をすごく経験してきているので。

 今回、アメリカに入る前になるべく日本と同じ環境づくりができるように、いろんな準備をしていったんですよ。例えば、アメリカにいる日本人の友達にあっちで日本のお米を準備してもらって、それを大量に送ってもらって、主食は常にお米を食べられる状態にしていたり。

 今回は日本代表戦で「帯同マスター」が付くので、日本にいる間からそのマスターのところに行って、その人のマッサージに体を慣らしていくとか。本当にいろんな細かい準備をしてたので。

 会場入りしたときはあまり「海外に来たな」っていう感じはなく、普段通りの感じで入れました。

日本食2

ーすごくいい形で現地に入れたんですね

 そうですね。今回はすごくコンディションはよかったですね。

 逆に日本にいる間は、(アメリカでの生活で)どんな食事になるか分からなかったから、あえてファストフードを毎晩食べたりとかしてたんですけど。

 現地に行ってから近くの中華レストランも探せたし、そういう(友人からの)差し入れもあったので、食事に困る面は全くなかったですね。

ーホテルではバイキングなどもあったんですか

 そうですね。僕らが国際大会に行くと、それを主催しているのは今回の世界卓球はWTTっていう機関なんですけど、ホテルの大きな部屋に準備された食事があるんですよ。

 WTTの予算があって、その予算の中でホテルが準備するんですけど。やっぱりそんなにめちゃくちゃおいしいわけじゃないですよね。

 当たりの国があれば外れの国もあるんですけど。今回は食べられるんだけどちゃんとお腹いっぱいにはならないよね、みたいな食事だったので。

 とはいえ、そこでサラダとか肉とかいろいろな栄養素のものは揃うので、そこにお米とか味噌汁とか持って行って一緒に食べるっていう風にしていました。

サラダ
サトウのごはん

気づかされた観客の前でプレーする楽しさ

ー大会期間中のコロナ対策はどうしていましたか

 しっかりコロナ対策はしていましたね。体育館に入る前に消毒したりだとか。いろんなところに消毒や除菌するものがあったはあったんですけど。やっぱり(アメリカは)日本に比べると、その対策はちょっと甘い気はしましたね。

 特に応援に関してなんですけど、日本は声を出すと飛沫で感染してしまうということで、今もプロリーグは基本的に拍手のみだったりだとか。

 アメリカはその時感染者数も少なかったこともあって、ものすごい全力の応援でしたね。

ー久しぶりに全力の応援の中で試合をするのはどうでしたか

 楽しかったですね。めっちゃ楽しかったです。アメリカで試合をするのがこんなに楽しいんだって思ったんですけど。

 あっちの人たちはスポーツを見て楽しむのがすごく上手っていう風に感じましたね。

 もちろんTリーグができて4シーズン目になってきて、日本のお客さんも卓球に対してだいぶ目が肥えてきて。いいプレーには盛り上げるし、すごく選手をリスペクトした関わり方をしてくれているんですけど、(アメリカの観客は)また質が違って。

 あっちはチームとか選手が観客に対して気を遣わなくても勝手に来て勝手に盛り上がって、応援団で一体感が出て。

 とにかくその空間にいて、ただ卓球を見ているだけなのに、すごくワクワクして楽しかったんですよね。文化の違いと言ったらそれまでなんですけど、あっちの人はスポーツを見て楽しむ能力が高いと思いました。

観客

ーアウェー感みたいなものも感じなかったですか?

 まあ当然、応援にムラはあるんですけど、絶対に片方を応援するっていうことはなかったですね。

 アメリカ人が応援していて、選手が中国人と日本人だとしても、中国の大応援団のすごい応援があって、それとはまた別に日本の応援があったりして。「いいな、こういうのが自然にできるのは」って思いました。

ー試合以外の時間はどのように過ごしていましたか

 基本的に今回、感染防止の対策的なところから外にあんまり出ていないんですよね。必要最低限、本当に必要なものを買いに行くときとか、それぐらいしか出ていなくて。

 ホテルの部屋から体育館まで、外に出ないで行けるような作りになっていたんですよ。それも対策の一環として。なので、あまりアメリカらしいことはできなかったんですけど。

 ただ現場では、選手が会場から部屋に帰るときに通る道が、一般のお客さんたちが売店に寄ったりするところを僕らが通るので、絶対にそこで関わりがあるんですけど。

 たくさんの人たちが声をかけてくれて、サインのお願いだったりだとか、そこでコミュニケーションができたのはすごいうれしかったですね。

ーアメリカの卓球ファンはどんな感じなんですか

 僕らは最初にアメリカ入りして時差を直すっていう意味でかなり早めにアメリカ入りしたんですけど、その時まだ試合会場は準備できてなかったんで、近くの別の卓球場を探して日本選手団のみんなで行って、そこで練習してたんですけど。

 聞いたら7台ある卓球場だったんですけど、会員が200人ぐらいいて、夜になるとそこに人がばっと集まって、申し合わせで練習とか。すごい盛り上がってるなって思いましたね。

 全然そんな(盛り上がっている)イメージはなかったんですけど、確かに思い返すと、僕がブンデスリーガに参戦しているときに当時のドイツのチームのスポンサーにアメリカの企業があったので、年間1回は絶対アメリカに行ってブンデスリーガの試合をするというイベントがあったんですけど。

 そのブンデスリーガの試合とは別に、そのスポンサーさんが主催をしてるオープン大会に出るっていうことがあったんですけど、当時2000人くらい試合に集まっていて。「こんなに人がいるんだ」って思って。

 その試合もすごい盛り上がって楽しくて。知らないところで卓球が盛り上がっているんだなって思いました。

卓球場

海外選手との交流も

ー大会中、海外の選手との関わりはありましたか

 今回、(ホテルの)部屋に浴槽がなかったんですよ。僕たちが泊まっているところに浴槽がなくて。ちょっと準備不足だったんですけど、それを知らなくて。

 ずっと日本でも浴槽に入っちゃっていたんで「あ、やばい」って思ったんですけど。ホテルの最上階にプールがあって、プールの隣に結構熱めのジャグジーがあったので、毎日そこに入りに行って、そこを風呂場にしてたんですけど。

 そこに毎日、僕が行くのと同じぐらいの時間でエジプトのオマル・アサル選手、オリンピックでベスト8になった選手なんですけど、彼が毎日来ていて。

 彼とはドイツのデュッセルドルフっていうチームで一緒に練習していたこともあってすごい仲が良くて。毎日そこで彼といろんな話をするっていうのがルーティーンで。すごく楽しかったです。

 いろんな話をしましたね。「オリンピックどうだった?」とかそんな話をしたら、オリンピックのことをすごい細かくいろいろ聞けて、僕も現場に行ったことがないところの話だったので。すごい経験の話を聞かせてもらっているなと思って。

プール

ー日本人選手同士の関わりはありましたか

 今回でいうと、みんなすごい試合が忙しかったっていうのはあるんですけど、僕の試合が終わった後に、今回練習相手っていうことで帯同していた選手が3人いて、愛知工業大学の曽根選手、愛知工業大学名電高校の篠塚選手と濱田選手。

 その3人のうち、篠塚選手と濱田選手は世界選手権に帯同した後、そのまま高校の世界一を決める大会にポルトガルのほうに移動して試合だったんですよね。

 なので、彼らもこの期間にパフォーマンスを落としちゃいけないっていうことで、やっぱり練習をしたり食事をしなきゃいけないので。

 僕も試合が終わった後に「じゃあちょっと一緒に練習やる?」って言って練習相手をして。ずっと僕もわがまま言って練習相手してもらっていたので。恩返しという意味も込めて、卓球を見て、持っていた日本食も大量に渡して。「これで力付けて頑張って」って言って。そういう絡みもありましたね。

関係者

後編へ続く

 後編では、森薗選手の世界選手権での試合についてのインタビューをお届けします。シングルスでの苦労や勝つための戦略、ダブルスでペアを組んだ張本智和選手への思いや今後の目標についてなどをたっぷりと語ってくれています。

【森薗政崇選手プロフィール】

1995年4月5日生まれ、東京都西東京市出身。青森山田高校、明治大学卒。BOBSON所属。中学1年から大学4年まで10年間、ドイツ・ブンデスリーガでプレーし、2018-19シーズンからはTリーグ岡山リベッツでプレー。
プロ卓球選手として現役を続けながら、2018年からはFPC株式会社の代表取締役社長としても手腕を振るう。男子ダブルス最高世界ランク1位。

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